ヨピ タツオ 新シーズン 待望のホラー編
登場人物
ヨピ タツオ : 33歳のしがない会社員。趣味はミニ四駆のみ。
キャベジン・オタ・ジョーンズ : 無国籍の美女。
コバオ : ヨピ タツオの上司。元高校球児で甲子園優勝投手。甲子園の決勝の舞台でMAX170 km/h(しかもフォークボール)を記録したと言われている。
1- 各駅停車地獄行き
タツオは出勤の満員電車に揺られて、秋葉原駅に向かっていた。タツオの日課である、妄想は日々進化していた。
昨日は、アラブの王様になって、自家用ジェットで世界一周をしていたり、はたまた、プロのサッカープレイヤーで、ワールドカップで優勝したりと、シチュエーションは様々であるが、常にタツオは妄想の中では、スーパースターであり
ヒーローであった。タツオは、心の中で、せめて妄想の世界ではヒーローでいたいと思っていた。現実は、ごくごく普通のサラリーマンであった。
まあ、男というものは常にヒーローでありたいと願うものだが。。。。現実はそう甘くない。むしろ厳しいものである。でも、実際にヒーローにならなければならない状況になったとき、果たして自分がヒーローになれるのか?リアルに考えるとタツオは身震いした。一種の恐怖がタツオを襲ったのである。タツオには特技はなく、趣味はミニ四駆くらいで、あとは、高校時代に打ち込んだボーリングであった。
ベストスコアは299点で、そのスコアを出した時は、タツオに「神が舞い降りた」と言われる、伝説のゲームであった。神奈川県の県予選で決勝まで進み、全国大会優勝経験もある私立石本国際高校と激突したゲームだ。石本国際高校は、プロ予備校とも言われる超名門で、学校に専用レーンがあるほどだ。それに比べて、タツオの本牧高校はごくごく普通の県立高校で、練習はと言えば、主にシャドーボーリングであった。練習用のレーンがないため、近場のボーリング場に練習に行くのだが、お金がかかるので行けても週2回ほどだ。あとは、学校のグラウンドの隅っこで、ひたすらシャドーボーリングに明け暮れていた。他の部活からは、奇異の目で見られていたが、タツオ達はくじけずにシャドーを続けていた。もしかして、この時からタツオの妄想癖はブラッシュアップされたのかもしれない。
そんなこんなで、裕福な超絶名門高校と一般ピーポーな超絶妄想癖高校との決勝となった神奈川県では、この決勝戦は実は密かに注目されていた。
世紀の番狂わせを期待した神奈川県民たちが、この世紀の闘いを観たいがために、テレビ中継しろだの、特設会場を設置しろだの、とんでもない事態となっていた。さらに、この噂が、ネットに拡散し収拾がつかなくなっていた。この事態を重く受け止めた全日本ボーリング連盟が特設会場の設置を約束し、事態は収拾した。しかも、その特設会場とは、あのボーリング場の聖地と言われた「田町ゴーレーン」であった。だが、「田町ゴーレーン」は今年の初めに閉鎖となっており、やっていないはずであったが、全日本ボーリング連盟は、日本のボーリング人気を牽引した「田町ゴーレーン」への敬意のしるしとして、田町ゴーレーンの1レーンだけを残して、このビルが壊されるまでは、博物館のyほうなイメージで、そのままにしておいたのである。
伝説の「田町ゴーレーン」で、再びボーリングを観れるとなれば、全国のボーリングファンが黙っているはずがない。神奈川県決勝が、なぜか東京で開催されると野暮なことは誰1人として言わなかった。そして、タツオ達は、ついに決勝前夜を迎えた。
2- ヒーロー前夜
決勝戦は3名 VS 3名のチーム対抗戦で、2ゲームの合計点で争われる。タツオ達は、日が沈む夕方に、レギュラーと補欠の計6名で、いつものシャドーをしていた。タツオの頭には走馬燈のように、この3年間の出来事がよぎっていた。ボーリング部には入ったこと、指がボーリングの指穴から抜けずに肩が脱臼したこと、初めて試合で勝ったことなど。。。。。
目に溜まった涙を、ぬぐうことなく、シャドーは続けれた。他のメンバーも、同じように目には大粒の涙があった。6人は、一糸乱れず、同じリズムで、シャドーを繰り返した。そして、日は暮れていった。
みんなと別れた後、タツオはいつものコンビニに寄り、強炭酸水を買った。リフレッシュしたい気分であったからだ。口の中にシュワーっと炭酸の泡が広がり、爽快な気持ちになった。「よーし、明日は一発かますぞー!」、タツオは心の中で叫んだ。
自宅に到着し、心を落ち着かせるために、自分の部屋で何気なく瞑想を試みた。深く息を吸って、ゆっくり吐いて、それを5回ほど繰り返した。タツオの頭の中は、真っ白になり、静寂が訪れた。明日の決戦のことは完全に忘れて、無欲の境地に達し、時間も忘れ、ただただ、無の境地に浸っていた。
その時、タツオの部屋を母親がノックした。
「タツオ、ごはんよ!」
タツオの母親は、明日の戦いのために、ご馳走を用意してくれていたのだ!それもタツオの大好物のビーフストロガノフ(卵のせ)であった。タツオは、母親を喜ばせていることが無性にうれしかった。幼少期から病弱であったタツオに愛情をいっぱい注いでくれて、タツオはいつも母親に感謝していたが、なかなか言葉にできないでいた。でも、ついに言葉にできるチャンスが巡ってきたのである。明日の決戦に勝利すれば、「今まで育ててくれてありがとう。」と胸を張って言える。タツオは、そのことを想像するだけで、胸がいっぱいになってきて、泣きそうになった。涙をこらえながら、特上のビーフストロガノフを塩味になる前に食べ終えた。
3- 決戦当日
朝の目覚めは、人生で最高と言っても良いものであった。低血圧気味のタツオは、朝が弱い方であった。しかし、今朝は最高に目覚めが良い!昨夜のビーフストロガノフのおかげだとタツオは思った。
そして、体も軽く、腕も軽いときた。
「今日は勝てる」とタツオは確信した。正直、根拠はない、しかも相手は超エリート集団の石本国際高校である。もちろん、相手が誰であれ、もう後戻りはできないし、やるしかないのである。タツオは、「いってきまーす」と母親に告げると、家を後にした。
電車を乗り継いで、ボーリングの聖地である田町ゴーレーンへ向かっているタツオの目に、石本国際高校のメンバーが入ってきた。山手線の同じ車両であった。彼らは、ボーリング部員に見えない厳つい体をしている。まるで、ラグビー部員のようであった。背も180cm以上あり、また、やたらと爽やかな感じがする。タツオは、絶対に負けたくないと思った。雑草魂を胸にタツオは田町で下車し、田町ゴーレーンに向かった。
田町ゴーレーンで、部員達と待ち合わせしていた。部員は、全員で6名であり、レギュラーのミツ ミネオ、クリ クリオと補欠のアキ マイク、ハヤ イクオ、ヒラ ナギサ、そしてヨピ タツオ。
田町ゴーレーンの入り口で、キャプテンのミネオが、1人で、空を眺めていた。ミネオは、人一倍の努力家で、シャドーボーリングもタツオ達の倍練習していた。家に帰っても、ひたすら練習していたようだ。それだけに、キャプテンとして、このチームを決勝まで引っ張ってきたミネオにタツオは感謝していた。ミネオは不器用な男で、笑顔もなく、常に真顔なのである。もちろん、女の子の受けは最低に悪い。でも、そんなことは関係なしで、必死にボーリングと向き合ってきた。いや、正確にはシャドーボーリングと向き合ってきたのだ。ミネオは、シャドーボーリングでは常に300点満点を取っていると豪語していた。それが、我らがキャプテン ミネオである。
次に、クリオが到着した。クリオは、中学時代は卓球で、全国大会を制覇し、単独で卓球王国の中国に殴り込みをかけ、ジュニアチャンピオンをことごとく撃破したとの伝説を持っているレジェンドである。だが、クリオの必殺技である鎌鼬(かまいたち)サーブを多用し過ぎたため、手首を痛め、卓球界から姿を消した。
鎌鼬サーブとは、クリオの放ったサーブが空気を切り裂く勢いで相手のコートに入っていくため、相手の選手が球を打ち返そうとしても、球の寸前でラケットが止まってしまい、球を打てないのだ。クリオの放った球の周りは真空状態となっており、相手のラケットには壁となってしまっているのだ。クリオ曰く、世界ジュニア卓球オリンピックの決勝で、インド領北センチネル島の選手●×@(発音が複雑すぎて表記不可)との激闘に勝利したものの、鎌鼬サーブを多用し過ぎて、手首を再起不能にしてしまったとのこと。そもそも、クリオの経歴は謎が多すぎて、誰も詳細は分かっていない。クリオの家族構成さえも。。。。。。
そして、本牧高校6名のメンバー全員が揃い、彼らは会場入りした。
4- 決戦開幕
会場入りしたタツオ達は、会場の雰囲気に驚いた。田町ゴーレーンでの決勝の舞台は、ボーリングファンでうめつくされていた。その数満員御礼の30,000人。プロのミュージシャンのツアーコンサートと同じくらいの数である。また、地響きのごとき大声援、まさしく本牧高校の6人はヒーローであった。この会場のほとんどの人がジャイアントキリングを観るがために、足を運んでいるに違いない。そして、彼らの夢を叶えるのが、タツオ達だということ。
そして、その夢を打ち砕くがごとく、威風堂々と登場したのが、神奈川県の絶対王者の石本国際高校の選手たちだ。180p以上の巨体とラガーマンのような体躯をしており、その威圧感と言ったら、筆舌に尽くしがたい。彼らは、本牧高校に向けられた観衆の声援に動揺することなく、レーンの前に並んで、一礼した。
石本国際高校の中でも、キャプテンであるタク アワオは要注意人物である。なんと平均スコアが260とプロ以上の腕前である。背は192pあり、握力は105kgと完全に人間離れしている。他の2人のレギュラーは、アベ イツオとハセ インクである。イツオは、アワオと名門石本国際高校を引っ張ったきた功労者でもある。名門でありつづるために、多くのプレッシャーと戦いながらも、名門の看板を守り続けてきた。そんな彼らと、本当に戦えるのか。タツオ達は、決戦目前で、いや、石本国際高校を目の前にして、怖気づいてきたのである。その時、補欠のマイクが、「オーマイ・ガットゥーゾ」と大声を出した。その言葉を聞いて、タツオ達は、ふと我に返り「あ、やっぱりー」と満面の笑みで返答した。笑ったおかげで、一気に気が楽になり、それとともに戦闘モードにすんなり入れた。いわゆるゾーン状態だ。タツオ達は、シャドーボーリングとともに、ゾーン状態へ入るコツも習得していったのである。ゾーンに入ると自分の思い描いたとおりのコースにボールを投げることができるのである。まさしく今、本牧高校が完全にゾーン状態へ投入したのである。
5- 死闘の果てに Part-1
試合は石本国際高校と本牧高校の1人ずつが交互に投げ合う。先行は石本国際高校で、後攻が本牧高校である。投げる順番は、石本国際高校が、ハセ インク、アベ イツオ、そしてキャプテンのタク アワオである。本牧高校は、ミツ ミネオ、クリ クリオ、そしてキャプテンではないヨピ タツオが殿となtった。ボーリングでの殿は、非常に重要である。もちろん、勝敗の行方を決めることもあるからだ。そのプレッシャーたるや半端じゃない。でも、タツオには自信があった。殿とは、軍事用語で「退却する軍列の最後尾にあって、敵の追撃を防ぐこと」という意味があるからである。
かつて、タツオは殿(しんがり)を「との」と呼んでいた。だが、ある時ふとTVで観た競馬中継で、サラブレッドが4コーナーを周り。大外から一気に差し切ったときにアナウンサーが、「殿からの大外一気」と言っていたのが印象に残っていた。あの鮮やかに差し切ったサラブレッドのように、タツオも勝利を飾りたいと思っていた。タツオにとって、この「殿」という言葉は特別な意味があるのだ。
そして、ついに会場に試合開始を告げるサイレンが鳴り響いた。
石本国際高校の先攻で、試合が始まった。第一投者のハセ インクが、鋭いカーブ気味のボールを投げた。ガターすれすれを転がり、レーンの真ん中あたりから急に曲がったボールはピンは1番と3番ピンの間を目掛けて、猛スピードで転がっていった。「ゴーン」という音とともに、すべてのピンが一瞬で倒れていた。
「ストライクー、よし」とハセ インクは、控えめなガッツポーズをした。
タツオ達は、いきなり超名門高校の洗礼を受け、一瞬固まってしまった。だが、次の瞬間、本牧高校の第一投者であるミネオが「よーし、いくぞー」という掛け声とともに、ボールを手に、アプローチゾーンへ向かった。その時、観客席から「ワァー」という声とともにビッグウェーブが起こった。まるでコンサートのようであった。いや、コンサートそのものなんだとタツオは認識した。と、その時、ニヤリと笑みを浮かべたミネオが、ボールを勢いよく投げた。ミネオのボールは、ノーラン・ライアンの剛速球のごとく、一直線に1番ピンへ向かっていった。「カキーン」と1番ピンへボールが衝突し、一気にピンが倒れていった。
「よっしゃー」と観客の大歓声に負けない声で、ミネオが叫んだ。「おー、ストライクゥ!!」とクリオも驚きの声を上げた。
このミネオのストライクをきっかけに、本牧高校は石本国際高校と互角の争いを演じることとなった。
6- 死闘の果てに Part-2
第1ゲームが終了し、石本国際高校のスコアは710点、本牧高校のスコアは680点と両チームともに高校生とは思えないスコアを叩きだした。
もちろん、本牧高校のチームにとっては、シーズンベストスコアはいうまでもない。一方で、石本国際高校についても同じくシーズンベストスコアであった。特に石本国際高校のキャプテンのタク アワオは280点というとんでもないスコアを叩きだしていた。しかも、当の本人はいたって冷静である。また、タツオも同じく冷静でいた。タツオはアワオの一挙手一投足を見ていた。アワオの弱点を探すためではない。しかし、ボーリングとは、己との戦いであり、格闘技などとは異なり、相手いかんでスコアが崩れることはほとんどないとも言われている。しかし、タツオはアワオから目を離さなかった。自分でもわからないが、見続けていた。
第2ゲームまでのブレイクタイムに、本牧高校の3人は何も話さずに、目で会話していた。お互いにお互いを褒め合っていたのだ。彼らはシャドーボーリングをしているうちに、なぜか目で会話できるようになっていた。
しかも、第2ゲームは、ベイカーダブルス方式(3人ルール)で行います。要は、1球ごとに投球者を変えていきます。本牧高校はもっとも得意とするゲームです。なぜなら、彼らには、アイコンタクトができるからです。ゲーム戦略を柔軟に変更できます。
第2ゲームが始まる前に、タツオはトイレに向かった。そのとき、トイレの入り口付近に歴代最速スピード100km/hと目を疑うような記録とその保持者の写真が飾ってあった。「コバオ」という名前の男はボールを握って笑顔で写真に写っている。そのとき、タツオの心臓が止まった。写真の男が握っているボールの親指を入れる穴が、明らかに中指と薬指側へ穴が縦長に広がっているのである。タツオは、理解できないでいた。
トイレを済ませたタツオは、その写真の笑顔の男を見ながら、席へ戻ったのである。すでに、本牧高校のメンバー2人は席についており、戦闘態勢に入っているようだ。タツオはバツが悪くなり、席の前でストレッチを始めた。ラジオ体操さながらの屈伸や背伸びなどの簡単なストレッチであった。よく運動前のストレッチは良いとされているが、リラックス効果も抜群にあり、笑顔で全員でシンクロしながらのストレッチであった。一種のマスゲームのようにも思えた。すると、笑いが笑いを誘い、ついには笑い過ぎて涙が出てきて、お腹が痛くなってきたのである。3人で、腹を抱えて、笑い合った。
もちろん、目で会話しながら。「お腹いてぇよー」と3人で話していた。
ついに、第2ゲームの開始を告げるアラームが会場に鳴り響いたと、同時に3人の顔が戦士の顔になった。
7- 死闘の果てに Part-3
石本国際高校のメンバーは、第1ゲームから一貫して顔の表情は変わらず、淡々としている。淡々としているというより無表情に近い感じさえした。周りのことは完全に目に入っていないようで、ひたすら、ピンとだけ向き合っているようであった。
この全く対照的な2チームが、どのような戦いを繰り広げるのかを観るがために全国からボーリングファンが集まったのが、理解できた。
これはある意味で、笑顔 VS 無表情 という戦いでもあるのだ。日本では昔から戦いに笑顔は禁物であり、真剣勝負の最中に笑うなど言語道断であるという風習さえあった。その過去の風習を踏襲しているのが、タツオ達の対戦相手である石国際高校の面々である。それとは、対照的に笑いありきでこれまで戦い続けてきた本牧高校の面々。恐ろしいほどに対照的ある。
そして、先攻である石本国際高校の第一投球者であるハセ インクがボールを掴んで、投球のモーションに入った。会場が、静寂に包まれ、その静寂を待っていたかのようにインクは、ボールを投げた。シュッーと鋭い回転をしながら、ボールはピンへ向かっていった。カキーンとボールは1ピンと3ピンの間に当たり、一気にピンは倒れていった。しかし、ピンは7と10が残り、いわゆるスプリッドとなった。第2投球者のアベ イツオは、淡々とレーンへ向かった。軽く肩を回して、余裕さえ感じられた。
スプリッドのなかでも、超難度と言われる7と10のスプリッド。これをイツオがどう始末するのかが、非常に興味深かった。しかし、イツオはいとも簡単にこの超難度のスプリッドからスペアを取ったのである。ガターすれすれに、まっすぐなボールを投げて、10番ピンの右横にボールを当て、10番ピンを弾き、7番ピンを倒したのだ。改めて、石本国際高校の強さを感じた。
とはいえ、本牧高校もすんなり引き下がるわけにいかない。
8- 死闘の果てに Part-4
つづいては、本牧高校の番である。ここは、ストライクを出して、一歩でもリードしたいところである。
第一ゲームで調子のよかったミネオに会場全体の視線が集められた。会場は、完全にミネオの独奏会となっていた。観客は、無言となり、時が止まったような静寂に包まれた。
そして、ミネオがボールを持ち、レーンへと向かった。ミネオは明らかに緊張しているのがわかった。わずかに肩が震えているのである。タツオjはこれはやばいと思い、必死にアイコンタウトを試みた。しかしながら、ミネオに周りを観る余裕などなく、そのままボールを投げてしまったのっである。「ゴロゴロー」と勢いのないボールはそのままガターへと吸い込まれていった。。。。
「あー、やっちゃたー」、タツオは思わず心で叫んだ。ミネオは、顔面真っ青になり、目はあっち方向を向いていた。と、そのとき、観客が「わぉおーー」と大声援を挙げた。なんと、クリオが、すでにボールを投げており、なんと全てのピンを倒していたではないか。タツオの目の前には、ガッツポーズをするクリオと完全に目が死んでいるミネオの2人がいた。だが、スペアという意味では、石本国際高校と同じで、決して落ち込みことはないのである。すぐさま、タツオとクリオはミネオへ視線を送り、アイコンタクトを開始した。
二人はミネオに、「気にするな。ミスは誰にでもある。みんなで補っていこう。」と伝えた。
すると、ミネオは「了解!ありがとう!」と蔓延の笑みを返してきた。
タツオは改めて、クリオのすごさに気づかされた。あの状況で、瞬時にスペアを取るすごさ。さらに、あのカルロス・サンターナばりのガッツポーズ!!やはり、クリオは只者ではないと。このクリオの一撃で、盛り上がった本牧高校のメンバーは石本国際高校と終盤まで互角に戦った。そして、運命の最終大10フレームが訪れた。石本国際高校はタク アワオが最終投球者である。なんと、ここまでスコアはイーブンであり、この第10フレームで決着が付くこととなる。もちろん、本牧高校はタツオが最終投球者である。この運命の最終フレームに観客も興奮気味で、異様な雰囲気に包めれている。
その中、タク アワオはゆっくりとボールを握り、レーンへと向かった。
9- 死闘の果てに Part-5
タク アワオは、ゆっくりと投球モーションに入り、鋭く腕を振り上げ、ボールを投げた。「シュールルル」鋭く回転し、レーンの真ん中から急激に曲がったボールは1ピンと3ピンの間に美しい音をたてて、当たった。その瞬間、10ピンがドミノたおしのように綺麗に倒れた。
「ストライクだ!」タツオは、唾をのみ込んだ。
タク アワオのボーリングとは思えないフォームと美しいストライクはまるでフィギュアスケートのカタリ・ナビット(旧東ドイツ)のカルメンのようであった。
タツオjは、フィギュアスケート好きの母親の影響で、幼少期からフィギュアスケートを良く見ていた。中でも印象に残っているのが、カルガリーオリンピックでのカタリ・ナビット選手の演目カルメンであった。いまでこそ、3回転半だの4回転だのと言われているが、美しく見せる、言い換えれば人を魅了することこそがフィギュアスケートの醍醐味であるとタツオは捉えている。カタリ・ナビット選手が、カルガリーで魅せた、あの名演技こそThe フィギュアスケートだ。タツオは今でも信じている。それをボーリングという種目に変えて体現しているタク アワオは、タツオにとっては尊敬に値する人でもあった。
タツオが、そんなことを考えている間、アワオは3連続ストライクを取り、席に座っていた。ミネオの鋭い目線が、それをタツオに気付かせた。
「おい、タツオ!お前の出番やで!」ミネオの目は、失敗したら殺すぞと言わんばかりの目つきをしていた。
タツオは、「ヒーローになる時はついに来たんだ!」と自分に言い聞かせ、ボールを取りに向かった。